アオザイの魅力楽しむ展示ハウス デザイナーが設立、ホーチミン市

アオザイ(ベトナム語表記でÁo dài)とは、正装として着用するベトナムの民族服です。今回は、有名なデザイナーのSi Hoang(シー・ホアン)さんがホーチミン市で設立したアオザイ展示ハウスを紹介しながら、アオザイの誕生から現在までをお伝えしましょう。(VNLホーチミン)

「アオザイ」はベトナム北部の発音で、南部では「アオヤイ」と発音します。アオ(Áo)は上衣の一種を意味する言葉、ザイ(dài)はベトナム語で「長い」を意味する形容詞で、つまり「長い上着」ということです。

女性用アオザイの美しさは世界的に認知されており、ベトナムのおみやげとしても人気が高いです。長い歴史を経たアオザイは、時代によって少しずつ改善されてきましたが、全体的なイメージは伝統的なアオザイのデザインを基にして作られています。

◇女性用アオザイの誕生
アオザイは17世紀ごろから作られて、当時は「ザオ・ラン」と呼ばれていました。ザオ・ランは、シンプルな構造で、4枚の布から作られています。背中側は、背中の中央で2枚の布を縦に縫い合わせてあり、そこに前身頃がそれぞれ脇で縫いつけてあります。服の前部分は脱ぎ着のために開いていてボタンなどはなく、ウエスト部分をひもで結んで着用するつくりで、日本の着物によく似た構造です。

17世紀から18世紀までは、アオ・トゥ・タン(Áo tứ thân)やアオ・グウ・タンと呼ばれた服の時代です。アオ・トゥ・タンというのはベトナム語で、4枚の布から作られたシャツの意味です。前身頃の二枚の布を、左右を結んで着用します。

ザオ・ランやアオ・トゥ・タンはいずれも、シャツは暗い色、下はほとんどの場合が黒い色のスカートといった地味な衣服で、庶民の女性が着ていました。

一方でアオ・グゥ・タンは、5枚布のシャツのことで、こちらはお金持ちの女性たちが着ていました。女性の体が見えないように、中にもう一枚布を追加して5枚の布を使って作られているのが特徴です。襟があるほか、デザインや色なども多様になります。アオ・グウ・タンは、20世紀の初頭まで、盛んに着られていました。

男性用のアオザイもあります。女性のアオザイと同様、時代とともに変化してきました。男性用のアオザイは体より幅を広く、ゆったりとした作りです。皇太子の服などは、特に豪華で、龍のデザインなどがあしらわれています。

王女の服は黄色で、きれいな装飾がなされています。

次は、フランス語を使いル・ムール(Le Mur)と呼ばれたアオザイが登場しました。ヨーロッパの影響を受けたファッションで、1939年に、画家のカット・トォン氏がデザインしました。今見るとそれほど奇抜な印象はありませんが、当時は「セクシーすぎる」と批判されたため、実際には舞台や踊りなどの衣装としてだけでした。

このタイプのアオザイは、腕の付け根部分にしわが寄ってしまうので、それを解消するため、1960年にサイゴン市(ホーチミン市の古い名前)の仕立て職人、ズンさんが袖付けを改善し、腕を動かしやすいラグラン袖を採用しました。また、襟を長めにして縫ったほか、服を前開きにしてボタンで閉じるようにしました。このデザインだと、女性の体によくフィットしながらも、着ている人は動きやすく、これがベトナムの現在のアオザイの型となりました。

◇遊び心盛り込んだアオザイの魅力
アオザイはベトナムの民族服ですが、堅苦しい決まりはありません。デザインやファッションの素材としてアレンジされることも多く、このアオザイ展示ハウスでは、世界各国の服を参考にデザインされた遊び心いっぱいの作品が展示されています。

例えば、アメリカのジーンズとTシャツをモチーフにしたおもしろいデザインも。

日本文化の図柄を参考にして作ったアオザイやフィリピン、インドなどの民族服をアレンジしたアオザイなども楽しいですよ。

デザイナーのシー・ホアンさん自身、いろいろな模様やデザインのアオザイを作っていて、ベトナムではとても有名です。子どもが描いた絵を使った明るくポップなデザインで知られるほか、ミス・アオザイやミス・ベトナムといったコンテストで着用される豪華なアオザイ、舞台の衣装なども手掛けています。

展示ハウスにはまた、ショールームと小さいですが縫製工房も併設され、伝統的なアオザイの柄つけや作製作業なども見ることができます。展示も工夫がされていて、女性の観光客ならきっと楽しめます。ぜひ、ホーチミン市を訪れたら、ここを見学してください。
住所:ホーチミン市1区、グエン・フエ通り77番地