ベトナム・日本学生学術交流 冨田健次先生の基調講演 その①

 

VJSE2013  第6回ベトナム・日本学生学術(科学)交流ミーティングにおける冨田健次先生の基調講演を掲載いたします。

 

日本語・日本文化
越日国際シンポジウム
―変容するベトナムの日本語教育―

ベトナムにおける漢字教育復活の必要性と可能性

大阪大学 冨田 健次

 

『1.韓国における漢字の「復権」』は省略致します。

2.漢字と民族文字

漢字文化圏の国々は、その字義通り正に漢字との格闘の中で自らの文化を築き上げ、守って来ました。しかし漢字は一部の特権支配階級の専用物であり、一般大衆を文盲のままに放擲しておくための手段とさえなっていたこともまた確かです。「民」という漢字の成り立ちを考えたら漢字の本質がよく分かります。人間の目を下から「戈」というホコで突いて「見えなくする」「暗くする」ことを象っていると言われ、それにもう一つ「目」を加える「眠」という漢字にその本質が隠されているように思います。民が文字を知り目覚めることを極端に恐れる官の真情がよく表れていると思います。日本は既に9世紀末頃までには民族文字とも言える平仮名やまた片仮名を編み出し、漢字との分業態勢を敷くことによって漢字を自家薬籠中のものにすることに成功しました。韓国も大分遅れて、先述のように、15世紀半ばに日本の平仮名や片仮名に相当するハングルと言う民族文字を考案し、漢字との折り合いをつけましたが、民族意識の高まりが漢字排斥へと徐々に向かわせ、遂に北朝鮮では漢字は完全に撲滅されてしまいました。

そしてもう一つの漢字文化圏の国、わがベトナムも北朝鮮と全く同じ道を辿ったのです。「大いなる文字」ハングルとは異なり、ヨーロッパ人がもたらしたキリスト教宣教のための教会ローマ字に様々な工夫を凝らした正書法「国語字」(チュー・クオック・グー)の専用によって漢字は完全に撲滅されてしまいました。間に日本の仮名化のような、漢字改造の民族文字「字喃」(チュー・ノム)と呼ばれる文字と漢字の併用時代があったのですが、漢字同様、この文字も一語一文字主義を所謂「表語文字」であったために、理論的には語の数だけ文字が必要とされ、しかもそのすべてが漢字の裏づけがあって初めて成立するような性格のものであったため、漢字を知らず文盲のままであった実に99%と言われる一般国民に受け入れられるものではとうていあり得ませんでした。ローマ字正書法が一拠に国民の間に広まったのは、彼等の殆どが漢字を知らず、文字の点で全く白紙だったことが大きく作用していたと思われているくらいです。

ところが、ベトナム語も韓国・朝鮮語同様その文化語彙の7割が実は漢字語彙なのです。先程から長々と述べて来た韓国の事情をそっくりそのままベトナムに置き換えればベトナムで今何が求められているのかを知ることができると思います。

しかしベトナムにとって漢字と言うものは、日本や韓国・朝鮮以上にその「悪玉」性は強いのです。中国による1000年以上の植民地支配の歴史を持ち、その後も度々の侵略に苦しみ、直近のちょうど30年前の1979年の国境戦争は生々しい記憶として私達の脳裏に焼き付いてさえいます。言わば天敵の国の文字です。しかも100年経ってそれを復活させろなど暴論以外の何ものでもないことは私達も百も承知しています。

 

3.漢字と漢字語彙

しかし私達漢字文化圏の諸民族は、好むと好まざるとに拘らず、何度も言うように母語の7割近くを占める漢字語彙をぬきにしては思考すらできない運命にあるのです。確かに漢字を知らなくても日常生活には何の支障もありませんし、現にベトナム人も北朝鮮の人々も全く漢字なしで今日までやって来れたと言うでしょう。しかし本当にそれで日常用いている漢字語彙が理解できていると言えるでしょうか。

卑近な小さな例を一つ挙げてみましょう。「楽器」と言う漢字語彙があります。ベトナム語でもこれをそのままベトナム語音読みしてnhạc khíで以前は十分通用していました。しかし最近ではこれを避けて「楽具」nhạc cụの方をより多く用いるようになって来ています。一体何故かと言うとnhạc khíと言う音を聞くと、ベトナム人には二音節目のkhíにどうしても同音である「空気」không khíの「気」khí、「気体」khí thềの「気」khíを思い浮かべて、口で吹いたり吸ったりする楽器だけをつい思い浮かべがちだと言うのです。そんな誤解を避けるためにも「楽具」を使う方がベターだと言うのです。ベトナム語には勿論「器具」khí cụや「機械」cơ khíのような漢字語も存在するのですが、やはり「空気」の「気」の方が「器具」の「器」より記憶に上り易いのでしょう。全くの同音でも漢字の知識さえあればこれなど簡単に避けることができます。「敬老」と言う漢語をkính lãoと発音して「老眼鏡」の「鏡・老」kính lảo(ベトナム語では修飾語は後置される)を思い浮かべるなどの誤解も容易に避けることができると思います。

いずれにしろ、漢字に対する深い理解、漢語に対する深い洞察が結局は自らの言語への理解を一層強め、思考力を向上させることは間違いないと思います。

 

4.漢字と国際交流

しかしそれよりも何よりも漢字を用いることが漢字文化圏の国々との経済的・文化的交流を飛躍的に高める効用をこそ私達は重視すべきです。ベトナムと北朝鮮がこの漢字文化圏の中で孤立化することだけは絶対に避けなければなりません。

日本との関係だけで言えば、急速に高齢化する日本では生産年齢人口つまり労働人口が毎年60万人単位でどんどん減り続けていると言います。産業界のあらゆる分野で最早、海外の人々に頼らなければ国の成立すら危うくなりつつあるのは確かな様です。日本がこれまで貯えてきた伝統技術や世界に先がけて獲得した最先端技術もそれらを継承する若者が今や全く不足し、言わばじり貧の状態に陥っていると言います。介護や医療の方面ですら例外ではなく、インドネシアやフィリピン、タイの若者に必死で頭を下げてお願いしている有様です。しかしこれにはやはりどうしても無理があります。もし日本に定着してこれらの仕事を担ってもらうためには何をおいても漢字の知識が必要不可欠なのです。当然のことながら漢字の知識の全く乏しい彼等が介護や医療に欠かすことのできない、日本人でさえ普段はあまり使わない難解な業界用語の漢字だらけの国家試験に合格するなど神業に近いことです。EPA(経済連携協定)に基づくインドネシアからの介護福祉士に限って言えば、たった3年の実務経験の間に受験をし、それもチャンスは1回のみで、不合格なら即刻帰国と言う苛酷なものと聞きます。善意があっても現実は厳し過ぎます。漢字の知識のある華僑なら話は別です。或いは中国人や韓国人なら何とかなると思います。でも彼等と日本人との間の関係は周知のように複雑な歴史的経緯もあり、一般には仲々うまく行きません。それは台湾の人でも同様です。そこで残された漢字文化圏の最後の切り札はわがベトナムです。歴史的わだかまりが全くないとは言えないものの、日本と共通する漢字語彙を豊富に有し、何をおいても儒教、仏教、道教の三教を共有すると言うバックボーンを持ち、箸を用いて御飯や麺を食べる飲食文化を含めたあらゆる文化を共通にする彼等が、ほんの少し頑張って漢字を学んでくれたらこんなに有難いことはありません。虫の良い話とは思いますが、既に述べたように、これは彼等にとっても将来大いにメリットになることだと信じます。