「もっと腰を沈めて! 舟がひっくりかえるじゃないか!」
ツバメの巣のある洞窟へ入るため、カヌーに乗り移ったとたん、船頭の男性から怒声が飛んできた。あわてて、腰を落とすが、揺れた拍子に、海水がザブザブと入ってくる。こんな舟でどこに連れていかれるのだろう?「ロープを投げろ」「そこに岩があるぞ」。まるでけんかのような、屈強な男たちの怒声が飛び交う。危険な現場にあることがヒシと伝わってくる。




屈強な男たちの操るカヌーに乗って洞窟に


ツバメは、外敵からヒナを守るために、こんなに険しい岸壁の洞窟に巣を作る

イェン ゴック社ではツバメが巣を作る4つの島と16カ所の洞窟の管理をしている。収穫時期は4月、5月、9月の年3回で、収穫のタイミングは気候などから経験で判断する。全部で65人、1つの洞窟で9人程度のスタッフが働く。昼に巣を採取し、夜は当番の者が岩場に設けた小さなやぐらで見張りにつく。島には、「ビルディング」と呼ばれる鉄筋コンクリートの建屋があり、シーズン中、男たちはそこに泊まり込んで共同生活をする。食糧その他、生活必需品は本土から船で届くという。

カヌーに乗せてくれたのは、2カ月前にこの仕事に就いたという30代の男性だった。元郵便局員だという。「こっちの方が給料はいいからね。確かに危険と隣あわせだけれど、みんなベテランばかりだから安心だよ」。そう言うと、まっ白な歯を見せて笑った。採用の条件は、体力があって、泳ぎがうまいことだったという。

“木の葉舟”で洞窟に入ると、そこには、息をのむような光景が広がっていた。海面から天井まで、高さ20メートル以上はあるだろうか。洞窟いっぱいに、竹の足場が縦横に組まれている。その「竹製のジャングルジム」のような空間の中を、ウエットスーツ姿の何人もの男が、サーカスの軽業師のようにヒラヒラ、ヒョイヒョイと動き回っている。映画「インディ・ジョーンズ」のセットか何かに迷い込んだようだ。


竹のジャングルジムを、男たちが行き来する

「私たちも、上に行きましょう」
そう言って、ゴック社長が足場に飛び移った。子供のころから現場で遊んでいというだけに、さすがに身軽だ。ぼやぼやしていると、どんどん置いて行かれそうになる。後を追って、足場をつかむが、濡れた竹がツルツルと滑ってなかなかうまくいかない。しがみつくようにしてよじのぼると、竹がギシギシギといやな音をたててきしむ。足元をのぞくと、黒い波がうねうねとのたうっている。思わず足がすくむ。「仕事で一番気を使うのは従業員の安全ね」。ゴック社長がそう言うのもうなずける。

「あそこを見て」
ゴック社長が、手にした懐中電灯で天井を照らした。光の先に、無数の白いマユのようなものが浮かびあがる。これがツバメの巣だ。直径5センチくらいだろうか。見た目は春雨のような半透明の白い繊維で編んだかごのようだ。


洞窟の天井に作られたツバメの巣

洞窟の天井では、男たちが、素手で一つずつ巣を採って、腰にぶら下げた布袋に入れていく。洞窟の地形にもよるが、1回の収穫は2時間~半日で終わるという。ゴック社長が採れたばかりの巣を見せてくれた。手に取ると、ふわりと軽く、重さは5㌘前後という。意外にしっかりしていて、指で押してもかたくずれもしない。あの小さなツバメが、こんな精巧なものを唾液だけで作るとは、ちょっと信じがたい。


採ったばかりのツバメの巣を手にするゴック社長。軽いけれど、意外と固い


右のあるのが見張り用のやぐら。ここで当番が寝ずの番をする


「ナバロンの要塞」のような島の生活拠点。シーズン中、男たちはここで寝泊まりする


岸壁が住居のすぐそばまで来ている


洞窟へ入る唯一の移動手段のカヌー。5人乗ること、喫水線は水面スレスレ


こちらは、洞窟というより、岸壁に開いた岩穴という感じ。「小さいけれど、この洞窟は巣の数が多いの」とゴック社長が教えてくれた

巣を作るとき、ツバメたちは、まず岩と接する土台の部分を固く作ってから、少しずつ広げていくように周りの形を整えていくのだという。途方もなく根気のいる作業で、一つの巣を作るには1カ月程度かかる。「去年は不作だったけれど、今年の巣は、ものすごく質がいいの。その分、量は少ないんだけれどね」。ゴック社長は苦笑いした。

ツバメたちが、このような厳しい場所を、巣作りに選ぶのは外敵からヒナを守るためだという。小さなツバメたちの、巣作りの労力と知恵を思うと、畏敬の念を覚えずにはいられない。幻の食材、ツバメの巣は、青い海と空、親鳥の愛がはぐくんだ大自然の宝石と言える。

「ビンディン省のツバメは、他の地域のツバメより繁殖力が強く、巣作りの能力が高いの。それが特産品になった理由の一つ。でも、私たちの会社では、ツバメの繁殖への影響をできるだけ少なくするため、巣をいちどきに採り過ぎないよう心掛けているの。すでに卵の入っている巣は、基本的に採らないようにしているの」とゴック社長。
かけがえのない恵みを与えてくれる自然への畏敬。そして、長い歳月と経験から得た自然とともに生きていく知恵が、この仕事を支える根本精神にあることを知った。