時代の中で揺れるベトナムのシクロ ( Xích lô)

 

「シクロ、シクロ」。お嬢さんが手を振ってシクロを運転している男性に声をかけていました。ハノイの旧市街ではよく見かける光景です。

シクロ(フランス語でcyclo)は、ベトナムの交通手段の一つ。利用するのは人の力です。3輪の構造で、人や荷物を載せることが出来ます。運転は自転車を操るのと同じ要領です。

シクロはベトナムだけなく、世界の複数の国にあると聞きました。しかし、ベトナムでは「伝統的な文化を象徴するもの」の一つと考える人もいます。

社会の発展とともに、交通手段は多様になりました。バイクや自転車、車、バス、観光専用のバスもあります。

「自転車と同じ」と言いましたが、シクロの運転はかなりハードです。でも、ベトナムでは、この仕事は「憧れの職業」ではなく、あまり「尊敬される仕事」でもないのです。

シクロを運転するチンさんは今年60歳。1993年からこの仕事を続けています。チンさんは、ナムディン省の郊外からハノイにやって来ました。仕事は、家族と子供のために続けている、といいます。子供さんが一人、大学に通っていて生活は厳しい面もありますが「一生懸命、頑張っているよ」。ハードな仕事ですが「年齢を考えても、他の仕事を探すのは難しい」と話します。

20年前には、シクロはハノイのほとんど全てのエリア(府県)で活動出来ました。しかし、最近、活動出来る範囲が縮小され、ホアンキエム区が中心になりました。活動の殆どは旧市街やホアンキエム湖の周り、観光客向けです。

現在、シクロを運行しているのは4つの観光会社だけです。

チンさんは「Sans-Souci JSC社」に所属しています。シクロはドライバーが購入し、会社に登録します。登録した会社から、活動の許可書が付与されます。「シクロを運転するのは大変で困難な仕事だが、収入はそれほど多くない」とチンさん。ホアンキエム湖の周りを1周して料金は30,000ドン程度。普段の一日の収入はおよそ6万ドンです。

ただ、1カ月の収入が200万ドンの月もあります。観光会社からツアーの依頼が多い時は仕事が増え、収入も上がります。

これまでの仕事で印象に残った出来事を聞いてみました。

「ある日、ご年配の外国人夫妻を乗せました。一人一台、シクロに乗ってくれました。(わたしは)奥さんを乗せ、ホアンキエム湖の周りをゆっくりと運転しました。一周してスタート地点に戻った時、お年を召したその奥さんはシクロを降り、私を抱きしめて頬にキスをしてくれました。驚きました。外国の人からそんな感情(感謝の気持ち)をもらったのは、とても嬉しかったです。本当にいい思い出です」。チンさんは、楽しそうに話してくれました。

「シクロの運転はハードな仕事です。楽しい時も辛い時もある。でも、元気でいる限り、この仕事を続けたい」とチンさん。

チンさんはとても忍耐強く見えます。でも、何歳までこの仕事を続けてゆくことができるのでしょう。

ハノイで15年前にシクロを体験したという日本人男性に話を聞きました。

「シクロに乗ると前方に視界が広がり、ゆったりとした時間の流れを堪能できました。それはとても贅沢な時間で“効率とスピードが求められつつあった時代の流れ”に“抗う存在“だった。しかし、最近、ハノイではシクロがめっきり少なくなってしまった。車の交通量がこれほど増えると、スピードがまるで違うシクロはどうしても厄介な存在になる。時代の変化を考えれば、必然なのかもしれない」。

時代の流れの中で「失われつつあるもの」を取り戻すのは難しいことでしょう。ハノイのシクロは「日常的な交通手段」ではなく、旧市街を巡る「観光客向けの乗り物」として、残っていくのかもしれません。そして、シクロのドライバーさんたちはいつまでこの仕事を続けられるのでしょう。どのようなスタイルで、そしていつまで、存続できるのか。シクロに乗って、その答えを考えてみます。